霊的法則と自然啓示
                                                        2009 7/10



  古典物理ではもちろん、現代物理のいかなる法則にあっても、エネルギーや質量などの保存則、エントロピー増大則などの基本原理が破られることは歴史上一つの例外も無かった。したがって、これらを明らかに打ち破る、「奇跡」の要素こそ、神の存在証明である。(ヨハ5:36)
  何かを形造るためには、エネルギーの働きかけが必要であり、エネルギーが作用するためにはそこに働こうとする「意志」と、どのように働きかけるかという「法則」が存在しなければならない。 このように、「意志」と「法則」がある「人格者」によってなされるならば、それは、全宇宙の存在をすべて揺り動かすほどの、人間の人格とははるかに次元を異にする存在である。
  すでに20世紀に成立した 量子力学と相対性理論により、我々が直感する3次元世界は、それ自身に「第四次元」を含んでいることが知られている。相対性理論、量子力学に対して、ニュートン力学は”仮想的な存在”(光速:c → ∞、 プランク定数:h → 0 とおいた極限。 hは”変換”の窓。)である。 そして、3次元世界に4次元世界の成分が含まれていることによって、物質(粒子)間の瞬間的な”変換”が行なわれ、素粒子のやり取りによって種々の”力”が生成している。
  そのように、霊の次元は、この世の3次元の環境に影響を与え、支配する。それは、世の初めに「天地創造」が行なわれたように、同じ「人格者」の「意志」と「法則」に基づいて「再創造」が行なわれるからである。


          1. 再創造の法則 ・・・・・ 再創造のわざ、人の霊的構造
          2. 思索と きよめの法則 ・・・・・ 思索の構造、罪の障壁を除く
          3. 精神のインプットとアウトプット ・・・・・ 語る事、見る事
          4. 神と十字架の自然啓示 ・・・・・ 自然啓示による神の本質的な存在形態、次元が「いと高き方」
          5. 預言と終末の自然啓示 ・・・・・ 神と時間との関係、自然啓示による預言の位置付け


    (参考文献)  ・ 「第四次元」、パウロ・チョーヨンギ、幸福への招待、     ・ 「病人をいやす秘訣」、チャールズ/フランシス・ハンター、信仰メディア
             ・ 「四次元の人」、チョー・ヨンギ、トランスフォーメーショングロース(2006)       ・ 「神の油注ぎ」、メル・ボンド、JRM (2004)


          1. 再創造の法則 


   「神を信じなさい」(マコ11:22) ・・・ =「神の信仰を持ちなさい」の意味。(by.ギリシャ語聖書)


  (1) 再創造のわざ:


    「初めに、神が天と地を創造された。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊(=聖霊)は水の上を動いていた(=舞いかけてい た; was hovering over)。そのとき、神が 「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。」(創1:1−3)


   ・・・ 神様が天地創造された方法が描かれている。まず、霊の次元で、神様の霊、すなわち、聖霊様が舞いかけ、働きかけ、あたため、孵化し、その後 命令のことばを発せられ、そして、その通りになった。

   「いのちを与えるのは御霊です。」(ヨハ6:63)  ・・・ * 自然啓示からは、 exp(iθ) (ただし i :聖霊、e :人) が適合している

  御子イエス様の十字架により、価なしに罪の無い神様の子供とされたのならば、神様との新しい契約(新約)により、約束の聖霊様が私たちの内に住まわれ、私たちは「神の宮」となる。この聖霊様こそ、神であり、「共におられる主」であり、すべてのエネルギー源、すべての資源の供給者である。 神様はまことに不思議な方で、いと高き天の不思議なところにおられると同時に、私たちの只中に住まわれ、なおかつ、神様はお一人である! こうして、「私たちの内にキリストがおられ、キリストの内に私たちがいる」、という形態に私たちは入っている。 そして御子イエス様が、そのご生涯に、聖霊様に聞き従ってすべてのみわざをなされた(ヨハ5:19)ように、私たちもそれらの「再創造」のわざを行なうことができるのである。
  その信仰の過程については、次のみことばが明らかにしている。


   「だれでも、この山に向かって『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ自分の言ったとおりになると信じる(=確信している)なら、そのとおりになります。 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じ(確信し)なさい。そうすれば、そのとおりになります。」(マコ11:23、24)


   ・・・ この創造の霊的なプロセスをより詳しく見ると、マルコ11:23は、命令(宣言、告白、行動)する前に、祈ってその通りになるという"確信"をまず得なさい、という意味である。
  聖霊様によって祈るほど、初めは遠くに感じられたものが、近くに感じられるようになり、そして遂には非常にはっきりした"確信"が来る。確信が来たら、(すでに得たものであるから)感謝の祈りに切り替える。
  この"確信"こそが信仰の"実体"(確信、実体・・・(ギ)ヒュポスタシス、不動産権利証書・有価証券の意)である。 信仰とは、人間的な信念のレベルではなく、全く疑うことができないほどの超自然的な世界のものである。 それは、「祈りによって得ることができる、からし種のような確信」(マタ17:20、21)でもある。
  たとえば癒しを自分で祈る場合(癒しは、聖書のみことばが約束する「救い」の一つであり、みこころである)、祈祷院で3日間祈って"癒されたという確信"が与えられたら、現状(病の状態)は変っていなくても、何日か過ごしているといつの間にか癒されている。イエス様がのろわれた木も、枯れたのは1日後だった。
  イエス様が、ご生涯にご自身の十字架のビジョン(「苦き杯」)を見せられ、十字架の上で全人類の贖いが成し遂げられたことを知って(確信が来て)、 「完了した」(ヨハ19:30)と宣言され、復活されたのは3日目の朝だった。(ただし、新約時代の現在は、ノアのように100年も待つ必要はない。)

  そして、確信が与えられたら、そのビジョンはすでに実在しているかのように、すべての準備をして行動すべきである。神様が、「光よあれ」と宣言されるまでは光は存在しなかった。(信仰=行動)  そして、ビジョンは、手に取るようにはっきりとしたものでなけれ ばならない。使徒たちは、イエス様の復活を確信し、その結果、福音を宣べ伝えたとき、聖霊様による大いなるしるしと不思議が「主イエスの復活のしる し」(使4:33)として伴った。


   * 4次元の3次元支配の流れをまとめると、

       祈り、(熱烈な、しかし初めは人間的なレベルの)ビジョンを持つ  →  神様からのビジョンが来る:確信  →  行動・命令・告白・宣言  →  神様の時に、短時間で(瞬間的に)物理的奇跡、摂理的奇跡が具体的に起こる




  (2) 人の霊的構造:


   「主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。」(Tテサ5:23)


  人は、(人の”実体”、永遠不滅の存在)、たましい(知性、情操、意志; 通常の精神活動をつかさどる所)、身体3層構造を持っている。(聖書の他の記述では、必ずしも「霊」と「たましい」は明確には区別されてはいないが、このように見えない部分であるにもかかわらず、最も重要な区別が必要とされる部分である) 「霊」は永遠不滅の存在であり、天の御国に住むか、地獄(ゲヘナ)で過ごすかも、それぞれ永遠に続くことになる。
  ヒトの脳細胞は約300億個の神経細胞が、身体の脳においては実質的なネットワークをなしている。(神経細胞の10倍あるグリア細胞はこの神経細胞群をサポートする働きのみ) しかし、この程度の個数のニューロンでは、とても日常の細やかな精神活動や、時には瞬間的なインスピレーションを含む思索など、すべての思索や精神活動を担うには、あまりにも小さすぎ、その伝達速度も遅すぎると思われる。 やはり、脳に「たましい」が重畳して機能しているとしか考えようがない。(もちろん脳の物理的な欠損によっていろいろな不具合が発生するが、それでも不思議なことに、その人の人格はしっかりと存在している。人間は単なる機械ではない。)

  聖霊のバプテスマ(聖霊の満たし)を受けると、多くの場合「異言」を語ることができるようになる。( 注) 異言を語っていないからといって、聖霊のバプテスマを受けていないということではない) これは、大脳皮質の”言語野”と”意志をつかさどる部分”とが非常に接近している(どちらも”前頭葉”にある)ことと関係付けられ、身体がこの世に生を受けている間は、「たましい」と「霊」は、この世の3次元に属する「身体」と密接な関係にあると言える。 特に、”意志”の分野を神様に明け渡すならば、その人のすべてを神様が支配することができ、主の栄光がその人を通して表わされるようになる。

  神様は、天地創造の時、植物、動物、と共に人間を造られた。 しかし、人間は、「神様に似せて造られた」、「霊的な」存在(創1:26)であり、霊としては(造られた時からの)永遠不滅な存在である。この「霊的」とは、他の動物には無い特徴であり、動物にはたましいの側面(感情;喜怒哀楽や若干の思索)が仮にあったとしても、霊は無いと考えられる。
  「霊的」とは、「霊の法則」に基づいて「信仰」の歩みをすることができることである。 霊的4次元はこの世の3次元世界を支配する。創造時における本来の人、アダムとエバは、この歩み方をよくわきまえていた。( → 「見る事」と「語る事」

  一方、御使い(天使、「神様に仕える霊」)たちも、悪霊どもも、神様の御手による被造物で、時間の流れの中に置かれている。(神ご自身は、唯一、時間をも超越したお方である。→ 5.預言 )
  サタン・悪霊とは、神に反逆し、「自分のおるべきところを捨てた堕落天使ら」(ユダ:6)のことで、決して悔い改めることをしない霊的実体であり、真理の無い偽り者であり、ただ惑わし、盗み、殺し、滅ぼすだけののろわれた存在であり、燃えるゲヘナで永遠に苦しめられることが(ブラックホールのように)運命付けられている。黙示録の最終的な人類へのさばきは、実に、悪霊どもによる完全な憑依であり 人格が悪霊のようにデフォルメされることから、悔い改めないすべての人はサタン・悪霊どもと同じようにさばかれることになる。(黙19:17、18、21)

  サタン・悪霊どもも何がしかの”しるし”を行なうが、これらはすべて主の許しのもとに行なうことができるのみである。(ヨブ1:6−12) だから我々は、主に、「試み(誘惑、試練)に遭わせず、悪(=悪魔)から救いください」と祈るのである。いずれにしても、主にのみ全権がある。


   (奇跡の写真): ・・・・ 神の再創造のあかし




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